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2010年8月16日 (月)

近くて遠い韓国

今回の里帰りには、ASIANA航空を使ったので、帰りは韓国のINCHON空港近くのホテルに一泊し、一日だけ韓国に滞在することができた。そこで、備忘録を残しておきたい。

韓国は、行ったことがなくても九州出身の私にとっては歴史と地理的になんとなく近くに感じられる国だった。
だが、最初に韓国人と縁があったのは、ドイツ留学時代だ。

語学コースには韓国人が多く、夫婦別姓なのが羨ましかった。ベルギーでも別姓で選択性ではない。
日本では、別姓を選択性にしようとしているのだから、別姓にしたくない人はこれまでどおりどちらか一方の姓を名乗ればよいだけなのに、なぜ激しく反対するのだろう。

話 が逸れたので戻る。語学コースで、「学校で、教師が間違っても生徒は指摘してはならない」と韓国人が言ったので、「日本でもそんな無言の圧力がある」と 言ったら、アフリカやヨーロッパからの学生たちから、「そんなことはおかしい!」と一斉に抗議された。その後も韓国人たちと話し、日韓の教育はわりと似て いることがわかった。

語学コースに通っていたとき、50代のドイツ人のおじさんの住居に下宿していた。空いている二部屋を、韓国人の女子 学生と私に貸してくれ、台所とシャワー+トイレ(これが分かれていなかったのがつらかった)は共同だった(ドイツでは、学生だけでなく社会人になってもこ のような他人同士の同居は珍しくない)。時々3人で料理することもあったが、とにかく台所にはいつでもニンニクがたわわにぶらさがっており、やはり共用の 冷蔵庫には、いつでも大きなタッパーに入った自家製キムチがあった。この韓国人女性とは、とくに親しいつきあいはなかったが、それでもアジア人としてドイ ツ人よりずっと分かり合えると思えた。

それからしばらくは韓国とは縁がなかったが、この夏初めて韓国の地を訪れることができた。


空 港からすぐの高速道路沿いの街灯に、小さなソーラーパネルとかわいい風力発電のプロペラがついていたのが目に付いた。ベルギーには、時々道路沿いに「あな たが出しているスピードは時速○○km」と表示される電光板があり、これらにはたいていソーラーパネルが使われている。

空港から車で10分ほどのホテルでは空港までの送迎つきで、大きなダブルベッドが二つあるビジネスホテルよりは洒落た部屋の家族4人の料金は、ドイツのユースホステルより安いくらいで驚いた。物価は、もっと日本に近いイメージがあったからだ。

ホテルの部屋には、玄関のように靴を脱ぐ段差があってスリッパがあり、トイレ+シャワーではスリッパを履きかえるようになっていて、日本の家のようだった。

ホ テルのある町では、ホテル・レストラン街の向こうに団地が立ち並び、看板の文字が日本語で道路が左側通行だったら、日本の街といっても通用すると思えた。 もう一つ、横断歩道の信号が違った。私の故郷では信号が変わるまでに逆三角形の電光板の横線がだんだん消えていくが、INCHONでは、信号の下にあと何 秒で変わるか数字で示していた。

Lotte
のスーパー(デパートかも)が、ホテルから歩いてすぐ近くにあったので、1階の食料品売り場に 行ってみた。買い物用のカートにはコインを入れなければならないが、傍に男性店員が布を持って立っており、カートの手で持つ部分をきれいに拭いてから客に 「どうぞ」と言い、カートを返しにきた客には、自分がカートを戻しコインを出してから客に「どうぞ」と渡していた。この、私にとってはサービス過剰とも思 える潔癖さは、韓国人の国民性なのだろうか?

スーパーで苦労したのは、食品表示の数字以外何も意味がわからないことだ。ごく稀に日本語と英語が少し書いてある製品があるだけで、ほとんどアルファベットの文字がなく、ハングルだけでは全く意味がわからない。こんな経験は初めてだ。エジプトでも、欧州で訪れた国々でも、言葉はわからなくてもローマ字での表記を見れば、添加物などもだいたいの意味は予想できた。しかし、アジアの隣国では何もわからない!ショックだった!
私 は外見上韓国人に見えるらしく、よく話しかけられたが、英語は話せますか?と尋ねるしかなかった。店員さんたちにはほとんど英語が通じず、とおりがかりの 会社員ぽい男性が通訳をしてくれた。そして、一人の店員さんが最後に、日本語で「ありがとうございました!」と言ってくれた。韓国語で「ありがとう」と言えなかっ た私は、韓国語の挨拶すら学ばなかった自分の怠慢をすごく恥じた。

レストラン街では、入り口の外に生簀がある店が圧倒的に多かった。メ ニューには英語と日本語が載っていたが、韓国語しか通じないレストランで食事をした。7時前で客は誰も居らず、主人が生簀の中の海産物を水から出しながら メニューを指して教えてくれ、夫人はずっと空いたテーブルでニンニクの皮をむいていた。この主人は、白いご飯を4つ頼んだのに3つしか持ってこず、魚貝類 のスープを二つ頼んだら、「二つ」と指をたてながら、4つのスープ皿に入れて出してくれた。魚のグリルは大きな魚丸ごとを焼いたものですごい量だった。試 しに一皿だけ頼んで正解だった。おかげで、ご飯の量は3つで十分だった。感謝の気持ちを込めてチップをはずんだら、それまでずっと無表情でニンニクをむい ていた夫人が、はじけるような笑顔で何度も何度もお辞儀をして御礼を言ってくれた。8時すぎて店を出るころには、ほとんどのテーブルが客であふれていた。

翌 日、ベスト・サービスに選ばれたというASIANA航空で、ドイツまで飛んだ。窓際の息子に「シャッターを開けてください」と、私の前に身体を倒してきた 客室乗務員の女性がとてもニンニク臭く、私はドイツの隣室の女子学生のことを思い出した。食事(特に子ども向け!)もなかなかだったが、INCHON- Frankfurt便にアバターがなかったのはとても残念だった・・・

私は学校時代に、ほとんど近現代史を習わなかった(これは、官僚が 国を操っていることや戦後日本がアメリカの属国になったことに国民が気づかぬよう、文部省の意図的な教育政策によるものではないかと、今でも大きな疑念と 不満が残っている)。それで、ドイツでの語学学校時代に、クラスの韓国人たちから歴史の話題を出されて、一方的に非難されないようあわてて本を読んだ。日韓双方の歴史教育に偏りがあることは確かだ。ドイツとポーランドのように、共同で歴史教科書を編纂するような努力が、これからの世代のためには不可欠だと 思う。

私は、将来EUのようなアジア共同体を目指すべきだと思う。そのためには、アジアの国々で共通の歴史認識は最低限必要だ。ただし、日本が属国のままで官僚主導の政治が続く限りは実現しない。

今でも水と油のような英仏間(和解が進んだ独仏よりはるかに犬猿の仲にみえる)に、トンネルが通じているくらいだから、アジアの中でも決して不可能なことではないと思うのだが・・・


最後にこのエントリの記念に、菅首相の談話を載せておく。
歴史の負の部分を決して水に流さず次世代に引き継いでいくという努力を続けているドイツでは、好意的に報道されていた。

内閣総理大臣談話 平成二十二年八月十日

 
 本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。
ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、
以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。
三・一独 立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、
政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、
その意に反して行われた植民地支配によって、
国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。
歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める
謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直で
ありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、
与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ない
ものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と
苦痛に対 し、ここに改めて痛切な反省と心からの
お詫びの気持ちを表明いたします。

このような認識の下、これからの百年を見据え、
未来志向の日韓関係を構築していきます。また、
これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、
朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を
今後とも誠実に実施していきます。
さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由して
もたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の
朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待
に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。

日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の
往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有
しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的
かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と
友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の
経済関係や人的交流の規模は国交正常 化以来飛躍的に
拡大し、互いに切磋琢磨しながら、
その結び付きは極めて強固なものとなっています。  

 日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や
自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な
隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、
将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の
平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や
気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、
幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力して
リーダーシップを発揮するパートナーの関係です。  

私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、
より固いものとなることを強く希求するとともに、
両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を
表明いたします。  

 

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