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2010年2月18日 (木)

ベルギーの列車事故の翌日の列車旅

おとといの15日、ベルギーで列車同士の衝突事故が起きました。亡くなられた18名の犠牲者の方々の御冥福をお祈りいたします。

一方の列車の機関士が赤信号を見おとしたことが原因だとされており、彼は生存しているので、いずれ本人から詳しい説明があるのではないでしょうか。もう一方の列車の機関士は命を落とされ、ご両親は「自分の息子の過失ではなかったことが唯一の慰めだ」と語っておられましたが、痛ましい限りです。

私は、一年に数えるほどしかベルギーで列車を利用しません。が、たまたまこの事故の翌日、首都ブリュッセルにでかけるのに、積雪や道の不案内のために車ではなく列車を利用したため、滅多にない体験をしましたので、備忘録として、書き留めておきたいと思います。

我が家の衛星アンテナではベルギーのテレビ番組が受信できないため、唯一のベルギーの情報源は、ラジオのドイツ語放送です。


当日の事故についてはドイツのニュース番組で知りましたが、事故の影響で翌日列車が通常通り運行するかどうかなどは、ベルギーのラジオが伝えてくれるものと思っていました。


しかし、夜の8時、9時、10時といくらラジオのドイツ語放送をつけても、カーニバルの音楽のみで、ニュースが全くありません。翌朝の5時、5時半、6時にも期待しましたが、同じくカーニバルの音楽のみでした。

やむをえず車で駅に向かうと、ちゃんと列車が停まっていたので、朝6時過ぎの最初の列車で無事出発できました。

ブリュッセルまでは、通常2時間足らずですが、この日は2時間半以上かかりました。途中から、普段は停まるはずのない小さな各駅の通勤客を乗せ始めたからです。

列車の通路はたちまち人でぎっしり埋まりました。東京では珍しくない光景ですが、欧州では大都市の一部を除いてこれほど混雑することはあまりありません。

ブリュッセルへの到着が遅れるという車内アナウンスがあったのかもしれませんが、少なくとも出発直後のワロン地域(一部ドイツ語圏ですが車掌のほとんどはドイツ語を話せずフランス語のみなので、息子に聞いてもらうしかありません)では何も言っていませんでした。フランデレン地域に入ってから何か言ったかもしれませんが、オランダ語は息子も私も聞き取れない(読めば少しはわかりますが)ので、てっきり昨日の事故のためダイヤの乱れのせいだろうと思い、列車の遅れはその日の予定に大きな影響はなかったので、それほど気にも留めませんでした。

さて、大変な思いをしたのは帰り道ですが、せっかくなので、ブリュッセル滞在記も少し書きます。


地下鉄の切符を買おうと窓口に行ったら、いきなり「コンニチハ」!と窓口のアラフォーくらいの男性が、英語でひっきりなしにしゃべり始めました。

「あなたは日本人でしょ。見ればすぐにわかります。日本語少しできます。ありがとう、さようなら、こんばんは、ごめんなさい・・・・・(あと何と言ったか忘れました)。私は日本の東京、奈良、京都、広島、宮島・・・(少なくとも20箇所くらいの場所を羅列)・・・沖縄に行きたいのです」。
「そして、・・」、片手の薬指をさわりながら「美しい日本人女性と結婚して連れて帰ってくるのが私の夢なのです!」

列車が遅れて友人との待ち合わせの時間まであまり余裕がなくなったのに、彼が今度は子どもたちに話しかけ始めたので、私は「早く夢が叶うといいですね~。ところで、家族3人分の一日券はいくらですか?」と、急いで切符を買いました。




ブリュッセルの公共交通機関は、一回だと2ユーロくらいですが、一日乗り放題だと4.5ユーロ、5人まで使えるグループ券は10ユーロなので、ドイツよりも割安です。

ちなみに、ベルギーの鉄道は12歳未満は無料です。私は、一年間有効の10回券を73ユーロで買っています。これだと、ベルギー国内を2等でどこまで乗っても片道7,3ユーロなのです。私の場合は、普通のブリュッセル往復切符を買うより5ユーロくらいお得でした。ですから、雪のための渋滞や燃料代を考えると、列車の旅のほうが安くて楽だと思ったのです。それに、環境のためにもよいし!

地下鉄に乗って、まずは子どもたちを中国人の友人に預けて彼女の子どもたちと遊ばせている間、私はポルトガル人の友人に会いました。

ポルトガル人の友人とは、13年前にノルウェーのユースホステルで同室になり、以後クリスマスにEメイルを送りあってきました。彼女がオックスフォードに住んでOXFAMでボランティアをしていたとき、私がオックスフォードシャーに住む友人を訪ねたので10年ぶりの再会を果たし、その3年後のきのうEUで働き始めた彼女と2回目の再会ができたのです。

彼女は、EUの建物を案内したいと連れて行ってくれたのですが、空港内のような手荷物検査を受け(係員は半数でよいのではと思うほど、皆退屈そう・・・)、パスポートを見せて顔写真を撮られ、写真入の名札をもらってからやっと本館に入れました。

あらゆる店や郵便局、美容室など、中には何でもあります。
ダライ・ラマが演説したときに、仕事を中断して皆が覗きに集まったという大きな議場の中をガラス越しに覗いて、カフェテリアでお茶を飲んだだけでしたが、定年までEUで働けるという誇らしい彼女が羨ましくもありました。

ポルトガル人の友人と別れたあと、中国人の友人宅で午後を過ごしたのですが、20時発の最終列車まで遊びたい子どもたちを説得し、19時発に間に合うように、友人に駅まで送ってもらいました。朝のようにまた各駅停車で時間がかかるかもしれないと思ったからです。

中央駅では、出発時刻や行き先の掲示板に、たった二つの列車の表示しかありませんでした。それで、誰もホームには降りていかず、自分が乗る列車の表示が出るまで大勢の旅行客が掲示板を見つめながら、携帯電話をかけたりしていました。


私たちが乗る予定の列車はあと15分で発車するはずなのに、表示がありません。そのうち、20分とか30分前に出発予定だった列車が何番線から出発という表示も出てきたので、かなりダイヤが乱れていることがわかりました。


ブリュッセルでは、オランダ語と英語のアナウンスもありましたが、出発時刻と行き先を告げるだけで、なぜダイヤが乱れているかという理由はなにもわかりませんでした。

いつ出るかもわからぬ表示を待って延々40分余り・・・やっと50分遅れで列車に乗れました。


やはり行きと同様、本来停まらぬ駅にもかなり停まりながら2時間余り、もうすぐ終着駅の一駅手前というところになって、フランス語のアナウンスがありました。


息子が、「何か問題が起きたから、前から2両に移るようにって言ってる」。私も問題という言葉だけはわかりました。


横になって眠っていた娘を起こし、靴をはかせて移動です。昨日の事故の映像を見たあとなので、前の車輌は避けて後ろ寄りに乗っていたため、いくつもの車輌を通り抜けて前へ前へ移動しなければなりませんでしたが、途中のある車輌の通路を歩いた時、少し斜めに傾いていたのでゾッとしました。


全員前の2車輌に移動しおわったら、終着駅の一つ前の駅に着き、かなりの人が降りました。

「やっとあと一駅!」で10分もかからないのですが、100mも進んだのかどうかというところで停まってしまいました。何のアナウンスもなく、しばらくして前方から工具箱をもった男性が3人出てきて無言で後ろに行ってしまいました。

しばらくすると、今度は後方から車掌がきて、なにやらブツブツつぶやきながら通り過ぎて行きました。一度も切符を検札しにこなかったので、車掌がいるとは思いませんでした。

乗客の誰かが、「私たち全員前の駅で降ろしたかったらしいけど、何も言わないから降りるわけがないじゃない!」と言い出しました。「何かフランス語でアナウンスがあったとしても、わからない」と、私のような人もいました。実際、ドイツ語圏にはフランス語ができない人が多く、ワロン地域には車掌のようにドイツ語ができない人が多いのです。

停まってから15分くらいして、なんと列車は後ろ向きに戻り始めたのです。
息子は、「いったいどこが問題っていうの?ちゃんと走ってるじゃない。しかも後ろ向きに!」と怒り出し、列車はさっきの駅にまた停まりました。

車掌が、「駅の前にバスが待っています」と言って、私たちは全員終着駅のひとつ前で降ろされました。


夜10時半近く、雪だらけの線路沿いを100m以上は歩かされたでしょう。地下道を上がって駅の建物の前に出ても、バスは停まっていませんでした。


周りの人たちが、携帯であちこちに電話をかけはじめました。
すぐ横に立っていた、パリから10時間かかってきたというカップルの男性のほうが、「ドイツの国境都市に住む母親に電話をかけたけど、そんなベルギーの小さな駅の名前は知らないから、今からどうやって迎えにくればいいか調べるらしい。どれだけ時間がかかるかわからない」と溜息。


少したってから駅員らしき人が「次の駅までバスで行きたい人は何人くらいいますか?」と聞きにきました。すなわち、まだバスは手配されていなかったのです。私は、次の駅に車を停めているのでなんとしてでもそこまで連れて行ってもらわねばなりません。夫は留守で迎えにきてもらえませんから。


すると、「もしかして、そこにいるのはヨーコとこどもたちじゃないの」と、前に立っていたカップルが振り返りました。暗くてかなり近づかないと顔がよく見えなかったのですが、なんと年に一回食事に招待しあう二軒隣のベルギー人夫妻でした!

「私たちイングランドからの帰りなのよ。きのうの事故でユーロスターがフランスの国境までしか走らないから、そこから乗り換え乗り換えでもう道中13時間よ。でも、あなた今日はストライキがあるって知らなかったの?とにかく帰ってこれてよかったわよ。かなりの列車が運休になったんだから・・・」

なんと、今日のダイヤの乱れは、昨日の事故が起きたのは機関士の労働条件や待遇が悪いからだと、改善を求めてストライキをしたためだったそうなのです。そして、私は「ストライキ」という言葉を、夜10時半にお隣さんの口から初めて耳にしたのでした。そして、「ストライキ」のために、私たちは目的の終着駅の一つ前の駅で降ろされたのです。列車をバックさせる時間があったらとっくに目的地に着いていたのに!


そういって話しているとすぐに、お隣さんの夫のお父さんが車で迎えに到着。夫のほうは、弟もすぐに来るからと、妻と私たちを先にお父さんの車に乗せてくれました。そして、私たちは無事に車の待つ駅に送り届けてもらえたのです。



・・・という訳で、何もなくても言語に不自由なベルギーで、普段は車で行くブリュッセルに列車で行ったばっかりに、滅多にできない体験をしましたが、最後にお隣さんに会えたのは、不幸中の幸いでした。

「ストライキ」にも関わらず働いていたおそらく労働組合の方々(お隣さん曰く)、ご苦労さまでした。でも、もう少し融通をきかせてほしかったですよ!

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コメント

お疲れ様でした。たくましく異国で生活されている様子に感激しました。それにしても日本とは当然とはいえ随分違いますね。

Iwao NAGATA さま、ありがとうございます!

ベルギーではただでさえ言語で不自由しているのに、情報がないことは辛いです。

ドイツの鉄道もベルギーと似たようなものですが、通常でも定時刻どおりに運行するほうが珍しいほどなので、もっとひどいです。

つくづく、ほとんど定時刻どおりに運行される日本の鉄道のすばらしさ、ありがたさが身にしみます。情報もちゃんと提供されますし、何より言語の問題がありませんのでw

異国で生活していると、すべての国が他国の長所を学びあってくれればよいのに・・・と思うことばかりです。

ecoyokoさん、こんばんは^^
その列車事故はこちら日本でもニュースで流れました・・・原因が信号の見落とし・・・最悪ですね。
そのお陰で18名もの尊い命が奪われたのですから。
労働条件が悪いって言ってこの事故の後のストライキ・・・順番が逆ですよね~
しかし今回色々な経験されましたね~(^_^;)
俺だったらパニックになっていたかもしれません^^;

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