サリドマイド販売中止を決めなかったのは誰?
>1960・70年代ニュースより
1961年11月26日 西ドイツで、サリドマイド系睡眠薬販売禁止。ベルギー、オランダ、イギリスなどでも同年製造中止にするも、日本だけが1963年9月まで市販
<私のコメント>
他国に倣って1961年に販売中止されなかったのは、
誰の判断だったのかが気になりますが、
1963年9月時点の厚生大臣は、小林武治でした。
この人が大臣の時に市販が中止されたことには、ちょっと納得する理由があります。
Wikipediaにはあまりいいことが書かれていませんが、
この人は厚相のときに、
四日市コンビナートの大気汚染公害の責任が、誰にどの程度あるのかが明らかでない
ことを問題視し、記者会見で
「公害対策基本法を制定して公害を出した各々の責任を明らかにし、環境基準を設けて公害対策を総合的に進める必要がある」
と発表しました。
そしてやっと、政府は67年の公害基本法制定へ向けて動き出したのです。
公害問題に対する政府の最初の取り組みは、
1954年に厚生省から起こり、大気汚染物質の許容限度を設定しようとしたら、
省庁や産業界の猛反対にあって挫折したのです。
その後も、公害対策の足を引っ張り合うバラバラな縦割り省庁の弊害で
公害は深刻化し、全国各地に広がる一方でありながら、
政府として統一的・抜本的に取り組む体制が取れない状態が続いていたのです。
小林大臣の言動は、
何度も厚相になりながら薬害エイズ、豊島の産廃、BSEなどの問題は放置したままで、
郵政民営化だけは米国からの年次改革要望書に従って成し遂げた
元首相よりは、政治家としてよほどまともだったと思います。
それで、もしかしたらサリドマイドの件もこの人が問題視して中止させたのでは?
と、勝手に推察しています。
当時、世界中で5000人とも1万人ともいわれる被害者が生まれましたが、
アメリカでは、17名でした。
一人の食品医薬局の審査官(女性です!)が、
販売許可を申請した企業に対し、治験結果の提出を要求し続けました。
彼女が、
企業や政治からの圧力にも屈することなく、再三再四申請を却下し続けた結果、
とうとう企業は申請を取り下げたのです。
それでも、犠牲者が17名も生まれたのです。
なお、日本ではサリドマイドの製造販売を、
2008年に多発性骨髄腫の治療薬として厚生労働省が承認しています。
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